1000本の事前購入の約束を取り付け発売に至る
その当時の腕時計と言えば、スティールウオッチでは競合他社がひしめきあう市場。しかもイタリアは35mm前後のフェミニンなデザインが主流だった。オーデマ ピゲの会社自体も好調だったことからロイヤル オークの開発はリスクしかないような状況である。しかしゴレイは製品の完成を待たず、SSIHに製品を購入してもらうリスクヘッジをとり、実際にホワイトゴールドで作られた試作機で1000本の製品購入を決めてきたという。
だが、求められているのはスティールウオッチ。ゴールドよりも硬く、加工は困難を極めた。さらに防水性を持たせるための特許技術が盛り込まれた点が製造を複雑化させる。ほかにも徹底した作り込みや最高級の薄型自動巻きキャリバーの搭載など、様々な要因が重なった結果、1972年4月15日の発売時には3300スイスフランもの価格設定がなされた。同時期の自社製フルゴールドのドレスウオッチの価格が、2990スイスフランの時代に、である。
当時の製品広告で、自ら「ゴールドウオッチよりも高いスティール時計」と表現するほどの製品となったロイヤル オークは、狙い通りにイタリアで人気に……とはならなかったようだ。だが、スイスやフランス、ドイツ、アジア圏の時計好きの心を着実につかみ初年度で合計490本を売り上げる。世界最高額のスティールウオッチは、誕生からすでに一部の人を熱狂させていたのである。
ロイヤル オークの外装展開図。表面にヘアライン仕上げが施された八角形ベゼルは、そこに打たれた六角形のビスのマイナスネジの向きまで揃える徹底ぶり。さらにビスを針などと同じ18K製にするこだわりも見える。ベゼルからケース、ブレスレットまでのシームレスなラインは目を見張るばかりの造形美。しかもバックルに向かって徐々にコマを小さくする設計は、手作業無くして成立しない。1本の外装を完成させるまで合計10時間以上。量産できるはずもない
新ジャンルを開拓して成功神話を作り上げる
その後、ロイヤル オークは女性向けやゴールドのバリエーションを拡大。とくに直径35mmのモデル4100が1977年に加わってからは、当初の目的だったイタリア市場でも受け入れられるようになったという。
高級時計の世界では「イタリアと日本で売れれば世界で売れる」という成功神話が語られることがある。日本における人気は言わずもがな、ロイヤル オークがイタリアで認められたことは、その成功神話を実証するエピソードと言えるだろう。また、八角形のベゼルを筆頭にあらゆる部位がオリジナリティに満ちたロイヤル オークのデザインは、のちに様々なブランドにインスピレーションを与えることとなる。とくにオーデマ ピゲと被験するハイブランドが同様のコンセプトを持つスポーツウオッチを開発に乗り出したことで、
現在、
腕時計 スーパーコピー おすすめオーデマ ピゲは新工房設立などの投資を行い、圧倒的なクオリティを維持したまま年産生産本数を5万本にまで引き上げたという。一方、世界に同社の時計を扱うショップはどれほどあるだろうか。そして、それら各店に年間で何本の製品が入荷することになるのか。そもそも、欲しい人すべてにロイヤル オークが行き渡るような世界は、時計愛好家なら誰も望んでいないだろう。このモデルに限らず、オーデマ ピゲの製品はいずれもスイスのル・ブラッシュの工房にいる、あらゆる職人が時間をかけて作り出す珠玉のタイムピースばかり。手にすること自体が、本来は奇跡なのだ。